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ペルー
インカの町並みと近代的な高層ビル群 はるか昔と今が混在する国
Peru Data
プロフィール
ペルー
●国名:ペルー共和国
●人口:2,865万7,000人(2008年、IMF)
●面積:128万5,215km2(日本の約3.4倍)
●GDP:1,274億6,200万米ドル(2008年、IMF)
●1人当たりGDP:4,447.81米ドル(2008年、IMF)
●経済成長率:9.837%(2008年、IMF)
●主要産業:製造業、商業、鉱業、運輸・通信業、建設業
●主要貿易品目:
輸出/銅、金、繊維製品、魚粉
輸入/工業用中間財、燃料・潤滑油、工業用資本財
●言語:スペイン語(他にケチュア語、アイマラ語)
●通貨:ヌエボ・ソル
●気候: 熱帯から温帯まで、地域によって異なる。
●格付:BBB+(S&P)、Baa3(ムーディーズ)
●株式時価総額:525億5,994万米ドル
古くから、未だ解明されていない古代文明が花開き、15世紀には、南米最大のインカ帝国が栄えたペルー。長きにわたるスペインの統治時代を経て、1821年、独立国家としてスタートをきったこの国には、クスコのインカの石組み、アレキパの白い町並みのなかに、植民地時代のコロニアルな建築物がそびえ立ち、さらには、近代的なビル群も混在する、独特の景観が広がっている。
街並み
ペルー基礎知識
ペルーのルーツ
インカ帝国とスペインの統治時代
ペルーでは、約3000年前から北部アンデス山岳地域に動物を神格化したチャビン文化が生まれ、狩猟民族たちに広まっていった。その後、このチャビン文化を基本に、北海岸ではモチェ文化、南海岸では地上絵で知られるナスカ文化が発展し、各地でさまざまな文化が花開いた(プレ・インカ時代)。11世紀末には、中部アンデス地域にインカ族が出現。当時は1部族だけだったが、15世紀末にはプレ・インカの諸文化圏まで拡大し、クスコを中心に北はエクアドル、南はチリ中部にいたる大帝国を建設した。インカ帝国は人々に経済的な保障を与える代わりに、生産、消費活動、宗教、結婚にいたるまで国家の命に従わせるという中央集権国家だった。1533年、フランシスコ・ピサロ率いるスペイン軍がインカ皇帝アタワルパを処刑し、インカ帝国の時代は滅亡。その後、スペインはリマに副王をおき、その後約300年もの間、ペルーはスペインの圧政に苦しみ続けた。

ペルー共和国の誕生
18世紀後半から19世紀にかけて独立運動が活発化した中南米では、1821年にホセ・サンマルチン将軍がリマに侵攻。ペルー共和国として独立を果たす。1866年、スペインは再度植民地化を試みたが、ペルーはボリビア、チリと共同戦線を張り、これを撃退。ペルーは完全に独立した。

今日までの歩み
1879年、硝石地帯の領有問題でチリがペルーに宣戦を布告。ボリビアとともに戦ったがこれに破れ、アリカなどをチリに割譲した。第二次世界大戦では連合国側に加わり、1942年には宣戦布告。戦後も1969年、他のアンデス諸国とカルタヘナ協定を結び、協力体制を確立している。

ペルーの主要産業
産業の中心は、銅・鉛・亜鉛・銀・金などの鉱業となっている。また、魚粉を中心とした水産業、綿花、砂糖、コーヒー、羊毛などの農牧業などが盛んだ。最近では、繊維などの非伝統品目の輸出や製造業なども伸びている。
カテドラル <リマ> カテドラル
<リマ>
スペインの征服者フランシスコ・ピサロが自らの手で礎石を築いたというペルー最古のカテドラル。17~18世紀にかけて、3度の地震に見舞われるが、1755年には修復された。内部には16の祭壇のほか、14世紀の宗教画や歴代インカ皇帝の肖像画などがある。
アルマス広場 <リマ> アルマス広場
<リマ>
1535年、フランシスコ・ピサロは首都をそれまでのクスコからリマへと移し、アルマス広場を中心に街を形成していった。現在もこの広場は歴史的建築物が集まる旧市街の中心地となっている。北側に大統領府があり、毎日正午には衛兵の交代を見ることができる。
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※ 各国・地域のプロフィールは外務省ホームページ等の情報を元に記載しています。また、その他の情報は株式会社ジェイティービーが有するデータを元に作成しています。なお、格付けは2009年3月末日時点で自国通貨建長期債務に対して付与されたものです。
※各国の株式時価総額は信頼できると判断した情報を元に記載しています。(2009年3月末日現在)
提供:PromPeruペルー政府観光局