当レポートは、英語による2025年2月26日発行の英語レポート「A passage to India’s healthcare sector」の日本語訳です。内容については英語による原本が日本語版に優先します。


今朝、以前働いていたシンガポール中心部にあるビルの前を通った。2023年までは欧州系のグローバルな投資銀行がキーテナントとして入居していたはずだが今やその姿はなく、一方で1階の一区画に入居していた歯科医院は残っていた。

医療産業は衰えることを知らない産業であり、世界中のあらゆる国の経済と密接につながっている。人の命が有限であり続ける限り、病気を処置していくための治療法が必要となる。

新薬、いわゆる革新的医薬品の研究・開発分野は、歴史的に欧米の大企業が独占してきた。俗に「ビッグ・ファーマ」と呼ばれるこれらの企業は、特許保護法により一定期間において新薬を独占的に販売する権利を享受している。特許が切れたのち、他のメーカーはこれらの医薬品のコピー(ジェネリック医薬品)を作る許可を規制当局に申請することができる。

インドは前々からジェネリック医薬品の製造拠点となってきた。その理由は製造コストや人件費の低さで、それらの医薬品を販売対象地域にとって安価な価格水準に維持しやすくなっている。インドは世界最大のジェネリック医薬品供給国であり、2023年の世界市場シェアは20%にのぼっている。

低分子医薬品、すなわち経口固形薬市場で確固たる足場を築いたインドの医薬品メーカーは、高分子の生物製剤を含む注射剤分野に進出し始めている。生物製剤の製造にはより厳格なコンプライアンスと品質管理が求められることから、それらの企業はこれまで注射剤市場への参入が困難であった。実際、2014年から2018年にかけて、多くのインド製薬企業は、米食品医薬品局(FDA)の規制への違反問題をめぐって大きな逆風に直面し、警告状から輸入警告の発出に至るまでの一連の規制措置が講じられる事態となった。重大な違反を繰り返す工場の場合は、FDAとの同意協定が締結された。FDAから指摘された主な問題は、データの完全性の欠如、不十分な品質管理手順、不十分な文書化などであった。これを受けてジェネリック医薬品の承認の遅れや供給の混乱が生じたほか、同業界への風評被害も起こった。

こうした課題を認識したインドの製薬会社は、全力で是正・予防措置計画に着手した。それらの目的は、品質問題を調査して根本的な原因を特定し、問題是正と再発防止に向けて必要な措置を講じることで、実績を再構築していくことにあった。各社の販売チャネルへの当社の独自調査によると、多くのインドの製薬会社はFDA出身者を雇い、製造工場を精査して工場設計や製造工程を見直し、品質管理の強化やデータの完全性問題への対応に取り組んだ。

インドの製薬業界はFDA規制問題を解決するのに数年を要した。2019年以降、多くのインドの製薬工場が問題是正の段階を終えてFDA基準に準拠し始めた。これはインドだけでなく、世界にとっても好タイミングとなった。新型コロナウイルス感染症の世界的大流行時、インドの製薬会社は、命を救うために不可欠な医薬品、抗レトロウイルス薬、ワクチンを世界中に供給する上で重要な役割を果たした。世界保健機関(WHO)の公式データによると、新型コロナウイルス感染症によって700万人が亡くなったと推定されている。インドの製薬セクターの貢献がなければ、死者数は大幅に増えていた可能性がある。

2023年半ばに、WHOは新型コロナウイルス感染症に関する世界的な公衆衛生上の緊急事態の終息を宣言した。しかし、世界は今新たに地政学面の先行き不透明感に直面している。米国とその同盟国がテクノロジー分野や地政学面の覇権競争で中国を牽制しようとしているなか、その集中砲火に巻き込まれるのを避けたい企業は「チャイナ・プラス・ワン」戦略として「世界の工場」となっている中国以外の国へと生産拠点を分散させようとしている。2024年、米国の連邦議会にバイオセキュア法案が提出された。これは、機密扱いの米国民の遺伝子データを「外国の敵」による監視・諜報活動目的の悪用から守るため、米国の連邦政府から資金援助を受けている団体による特定の中国バイオテクノロジー企業との契約締結を制限することを目的とした法案で、2024年9月に下院で超党派の支持を得て可決されたものの、年末までに上院を通過することはできなかった。現在、同法案の行方は不透明なままである。

こうした動向から2通りのシナリオが展開されていくとみている。1つ目は、医薬品原薬(API)の大部分を中国から調達しているインド企業にとって、これが課題と同時にチャンスをもたらすシナリオだ。この問題の影響を低減するべく、インド当局は「生産連動型インセンティブ」プログラムを展開している。これは、製薬会社が原薬を製造するための原料(中間体として知られる)を加工する工場や、原薬を自社製造する工場を建設する場合の設備投資に対して補助金を提供する制度である。こうした努力は実を結び始めている可能性がある。2024年4月、インドの製薬会社Aurobindo Pharmaは、アモキシシリンなどの一般的な抗生物質を合成する際の重要な中間体化合物であるペニシリンGと6-APAの大規模製造工場の試験稼働段階に入った。同工場はフル稼働に至ると世界需要の20%を満たすと予測されており、現在は試験生産を開始している。

2つ目のシナリオとして、Divi’s Laboratoriesなどのインドの医薬品受託製造開発機関(CDMO)は、ビッグ・ファーマからのバイオ医薬品アウトソーシングにおいて、中国系企業から市場シェアを獲得していくと見込まれる(チャート1参照)。米国のバイオセキュア法案では特にWuxi AppTecやWuxi Biologicsといった会社が標的にされているが、これらは両社ともビッグ・ファーマの主要サービスプロバイダーである。同法案が連邦議会を通過するかは依然不透明であるものの、多くの米国企業は、今後同法案が連邦議会に再提出された場合のリスクを軽減するため、方向転換して中国系CDMO以外への分散化を進めていくことを検討中だ。

チャート1

この機会を生かすためには、インドのCDMOはプロセス開発能力やバイオ製造能力を高め、品質基準をさらに改善し、生物製剤やペプチド、細胞・遺伝子治療薬などのより先進的、より高価値のモダリティを中心に十分な規模の製造能力を構築する必要があるとみられる。

さらに、ライフサイエンスや医薬品開発の自立的エコシステムを作り出していくには、インドの規制当局がバイオ製造ハブを構築するために必要な措置を実施していくことが極めて重要であるとみられる。そうしたハブが非臨床研究と臨床研究のあいだの橋渡しを担い、インドは低コストのジェネリック医薬品生産拠点から、活気に満ちたバイオ製造の中心地へと変化していくことが可能になるだろう。そうした施策のいくつかの例として、知的財産権保護のための効果的な法的枠組みの整備、資本市場からの後押し、起業を奨励して研究開発を加速させる政府主導のインセンティブ制度の導入などが挙げられる(チャート2参照)。

チャート1

振り返ってみると、こうした動きは20年前の韓国、ここ10年間では中国でみられてきた。巨大な国内市場における潜在需要、成功に貪欲な民間企業、そして大学で科学、テクノロジー、エンジニアリング、医学を専攻した優秀な人材の豊富さに支えられ、インドの製薬企業は同じような変化を遂げられるポテンシャルを備えているとみられる。調査機関World Population Reviewの統計によると、2024年の博士号取得者数でインドは米国、中国に次ぐ第3位に入っている。

実際、インドの製薬会社のなかには、Sun Phamaceuticals Industriesのように特殊医薬品のライセンスの取得を通じて、そうした方向にすでに進んでいる企業も見受けられている。こうしたインド企業による取り組みは、革新的医薬品を研究する段階へと進む前に、創薬に必要な高度な専門性を築いていくための重要な中間段階であるとみている。

インドの製薬業界もさることながら、インドの民間病院セクターの急成長も注目に値する。医学雑誌Lancetの2024年のレポートによると、インドは世界第5位の経済大国であるにもかかわらず、医療費支出がG20諸国の中で最も少ない。国が負担する医療費は「対国内総生産(GDP)比1.2%と酷い」もので、自己負担額が高水準の状況が続いている。

公立病院不足のインドでは、その穴を埋めるために民間事業者の参入が必要
(下の写真は2024年3月のハイデラバード出張時に撮影した病院待合室の様子)

医療費の増加、富の拡大、意識の高まりなどを背景に、ここ10年間でインドの健康保険普及率は劇的に上昇した。健康保険加入者層が拡大するなか、こうした長期的に持続する成長トレンドを取り込む構造的機会をインドの民間病院はもたらしている。こうした流れを受けて、入院患者数と外来患者数の両方が増加し、今後3年間でさらに病床が新設されていくなかでも病床稼働率が高まると予想される。ちなみに2015年時点では、インドの投資可能な上場病院運営会社はApollo HospitalsとFortis Healthcareの2社のみで、薬局や診断サービス分野の上場企業は存在しなかった。その後、上場企業の数は飛躍的に増加し、現在では20社以上の病院運営会社と診断サービス・チェーンが上場している。

調剤、健康診断、疾病診断サービスを提供する薬局
(下の写真は2024年3月のハイドラバード出張時に撮影した様子)

米国のドナルド・トランプ大統領が医薬品に25%程度の輸入関税を課すことを検討しており、そうした脅威が当面の懸念材料となり得るものの、それが実現する可能性は低いとみている。インド政府はすでに米国との二国間貿易協定の交渉を計画しており、特定のセクター、そして引き出せる可能性のある関税面の譲歩について重点的に協議していく意向である。


インドのヘルスケア・セクターにとって大きな好機が訪れつつあり、この世界第5位の経済大国が2030年までに世界のヘルスケア市場トップ3の一角を占めるようになる見込みであることは、さして不思議なことではない。インドの人口動態は今後の医療費支出への確かな追い風をもたらすとみられる。その背景にあるのが、インドのGDPが拡大し続けるなかでの、医療分野への政府支出の慢性的不足、平均寿命の延び、可処分所得の増加、保険加入率の上昇である。当社では運用する様々な投資戦略において、こうした成長ドライバーを十分に捉えて活かしていくことができるインドの主要ヘルスケア企業を特定している。

こうした動きが実を結ぶには時間がかかるかもしれないが、そのために必要なファンダメンタルズの変化は進んでおり、インドのヘルスケア・セクターにおける長期的かつ持続的な投資機会をもたらしていくと確信している。


個別銘柄への言及は例示のみを目的としており、当該戦略で運用するポートフォリオでの保有継続を保証するものではなく、また売買を推奨するものでもありません。


当資料は、日興アセットマネジメント(弊社)が市況環境などについてお伝えすること等を目的として作成した資料(英語)をベースに作成した日本語版であり、特定商品の勧誘資料ではなく、推奨等を意図するものでもありません。また、当資料に掲載する内容は、弊社のファンドの運用に何等影響を与えるものではありません。資料中において個別銘柄に言及する場合もありますが、これは当該銘柄の組入れを約束するものでも売買を推奨するものでもありません。当資料の情報は信頼できると判断した情報に基づき作成されていますが、情報の正確性・完全性について弊社が保証するものではありません。当資料に掲載されている数値、図表等は、特に断りのない限り当資料作成日現在のものです。また、当資料に示す意見は、特に断りのない限り当資料作成日現在の見解を示すものです。当資料中のグラフ、数値等は過去のものであり、将来の運用成果等を約束するものではありません。当資料中のいかなる内容も、将来の市場環境の変動等を保証するものではありません。なお、資料中の見解には、弊社のものではなく、著者の個人的なものも含まれていることがあり、予告なしに変更することもあります。