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Q. 死ぬ時が一番金持ちでもねぇ


先月の「オトナの七・五・三オンラインセミナー」で、宮崎から参加の若い女性が言った言葉が印象的だった。そのパートの講師の乙部がその方と「将来の目標金額」についてやり取りする中で、彼女は「無駄に老後のお金を増やそうとは思わないんです。だって死ぬ時が一番金持ちでも仕方ないですから」と言った。

まったくその通りだ。投信に限らず、いやお金に限らず将来に備えて食糧でも何でもをとっておくということはすべて「先を見て今を我慢する」という非常に大事なことだが、不安ばかりで食糧をため込みすぎると、毎日お腹が空いて楽しくなく、ため込んだものも結局は腐らせて無駄にしてしまう。

「今を充実させつつ、将来にも適切に備える」というのは、言うのは簡単だが難しいことだ。特に人はいつまで生きるか分からない。私が証券営業をやっている時も、シニアのお客様は皆「老後が不安で」と言ってお金を増やそうとし、楽しそうに使えている方ばかりではなかった。その意味で、これから将来設計をする方には、生活の基盤としての公的年金を信頼し直すことを勧めたい。つまり、将来の年金受給をゼロと考えて資産運用を考える必要などまったくないという話だ。

そもそも公的年金とは国が国民の代わりにお金を貯めてくれる制度ではなく、「払い損だ」とか「カネ返せ」などと言われる筋合いのものではない。国民全体の最低限の生活を支える相互扶助のセーフティネット、要は保険制度だ。何があっても潰れるわけにはいかない国の根幹である以上、そこから疑って将来を悲観して無理な計画を立てるのは、毎日腹を空かせて食糧を腐らせることにつながりかねない(公的年金については ここ で簡単に、しかし詳しく書いたので是非)。

まず公的年金は何より「終身」、つまり死ぬまで受け取れる点が素晴らしい。「いつ死ぬか分からないから、いくら持っていればいいか分からない」という不安は、この終身の公的年金によってある程度カバーできる。ただ、その金額は昔からその時々の現役世代の収入の約半分くらいの金額だから、年金だけでゆとりある暮らしは昔の人もこれからの人もできない。その「ゆとり」を加えることこそが将来に向けた資産運用の目的であり、その人の価値観によって目標金額は人それぞれであるべきだ。

数年前に娘が成人した時、国民年金の書類が来たことで交わされた友人たちとの会話が、「年金なんてどうせなくなるんだから払うの無駄」だったと聞いてびっくりした。その子たちはその後、保険料をちゃんと払っているだろうか。国の破綻を信じながら(その国の上でビジネスする)民間を信じるという非合理な判断のもと、無駄な年金保険に入ったりしていないだろうか。終身の公的年金の満額支給という最高の権利は、いうまでもなく現役時代に義務を全うした人、つまり年金保険料をちゃんと払った人だけに与えられる。間違いだらけのメディアの責任は小さくない。

本コラムは私が書きました。


今福 啓之(いまふく ひろゆき)

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日興アセットマネジメント マーケティング共同グローバルヘッド。1990年野村證券入社。支店営業、研修部、金融法人部を経て2000年にフィデリティ投信入社。2007年に日興アセット入社。2014年ピクテ投信マーケティング担当執行役員を経て2016年より再び日興アセット。日本証券アナリスト協会検定会員、日本FP協会認定会員


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