「2人の娘とその夫」に送る資産形成の黄金律

第十八話 長期投資は「複利効果」のためでなく……

公開日

今福 啓之

日興アセットマネジメント

ポイント

  • 長期投資が必要と言われるひとつの理由は、そもそも長い時間がないと投資対象は成長できないから

  • 長期投資が必要と言われるもうひとつの理由は、長い期間で構えると投資タイミングの間違いが救われる「結果オーライ」となることがあるから

では少し照れるが早速始めますか。投資信託(投信)の仕事で32年目の僕が、父親の最後のアドバイスとして結婚した娘とその夫2人にこんな話ができるのは、まぁありがたいことだよね。

長期投資とは言うが、短期で達成されるならそれが一番では?

投資の話では決まって「長期投資」って言葉が金科玉条のように出てくるよね。
でも長期投資は別に決まりごとではない。同じ結果がもっと短い期間で得られるなら、それに越したことはないじゃない。

まず「投資のやめ時」の話を少ししておくわ。
我々もよく受ける質問は、「始める話はよく耳にするんですが、いつやめればいいものでしょうか? やめ方は?」なんだよね。

そんな時、僕はあえてこんな風に、木で鼻をくくったとも思われそうな答え方をしてきた。
やめ時は自分の目標金額が達成された時ではないでしょうか。もし達成されたら一刻も早く投信を全部売却して預金に戻すべきではないでしょうか。だって私たちはリスクが嫌いなんですから、もはや無用なリスクを取り続ける理由はないじゃないですか」。

我ながら言い方がどうかなとは思うけど、これは本音だし本質だと思ってることなの。

僕らはリスクが嫌いだ。特に命に近い、家族を守るためのお金については本当はリスクなんて取りたくない。
僕は買わないけど宝くじを買ったり、僕はやらないけどパチンコや競馬に使ったりするお金は、まぁリスクが好きなお金なんだろうね。

でも同じ人の中にもそれとは違う、リスクが嫌いな「大事で本気のお金」があるんだよね。
そして「自分でハンドルを握る人生」を自らつくるためには、そうした「大事で本気のお金」にこそリスクを取らせないといけない。

というかそうしないとその人生は手に入らないんだ――というのが、僕がずっとしてきた話だった。いわば「納得ずくのリスクテイク」だね。嫌いだけど納得してあえて取るリスク

僕は証券会社に10年勤めて2000年に今の会社の前の運用会社に転職した時からずっと、「目標金額があってこそのリスクテイク」という考え方をしてきた。

それをセミナーで話したり何かに書いたり、金融機関の人に使ってもらう資料にしたりしてきた一方、前に僕の投信積立の歴史を見せたように自分自身でも実践してきた。

もし投信による運用がメチャメチャうまくいって「自分でハンドルを握る人生」を実現するに十分な目標金額が達成されたなら、もう嫌いなリスクを取っている状態を続ける必要はないよね。

それこそ、その人生を楽しむために使っていくべきだ。
でも増えること、増やすこと自体が目的になってしまいがちなのも事実。

うまくいってる時に全部売って預金に戻すなんて、実はなかなかできることじゃないんだよね。
僕も証券会社の営業マン時代に、そういうお客さんをたくさん見てきた。「もっと続ければもっと儲かるのにもったいない」って感じ。

僕が証券営業をやってたのはもう30年も前だから今はまったく違うんだけど、当時のお客様は皆「儲ける」という言葉を使った。
「今度は損した。次は儲けるぞ」という具合にね。

僕らは今、「儲ける」という言葉とは真逆な投資について考えているよね。
でも当時、株や投資信託は余裕資金を使って「儲ける」ためにやるものであって、将来自分で人生のハンドルを握っているために、あえて嫌いなリスクを取るのだ――なんてことを考える人は多くなかったと思う。

長期投資は何のため?

長期投資は目的でも決まりごとでもないという話をした。目標金額が達成できたら、さっさとやめればいいんだと。

それでも皆が「長期投資を」と言うのはなぜなんだろう。

それは前回話したように「長期で持てば複利効果という魔法の力が働くから」ではなくて、「長期で構えることでうまく行く可能性が高まることが、過去の経験で知られているから」程度の理由なんだよね。

身もフタもない言い方で悪いけど、多分大きくは間違ってないと思う。もう少し丁寧に説明するなら、うまく行く可能性、蓋然性が高い理由は大きく2つあると思う。

理由その1は「長い時間がないと、そもそも投資資産自体が成長できないから」という本質論。

そして理由その2は「長い時間で構えると多少のタイミングの間違いが『結果オーライ』になりやすいから」という経験則だ。

「理由その1」から説明するね。
少し前も話した通り、企業って今日明日で大変身はできなくても、ある程度の長い時間があれば利益を大きく成長させ、株価もそれを受けて大きく上昇する可能性があるよね。

株価は「ムード」で動かす人がいるために、今日明日どころか秒単位で変わるけど、実際の企業の価値は時間をかけてこそ、大きく変わっていくわけだ

株価は長期的には企業の価値を反映して決まるものだが、短期では「ムード」先行で間違っていることが多いし、そもそもの企業の価値自体が短い時間では高まりようがないというのが「理由その1」だ。

君たちが働いている会社のことを思えば当たり前のことだよね。
成長しようと毎日皆で頑張っているのは間違いないけど、今日と明日で大きな違いなどあるわけがない。

それなのに投資対象となった途端、人はすぐに企業が変わるとでも思っているかのように株価を判断しようとする。

人はいつも投資のタイミングをミスるから

理由その2の「結果オーライ」とは、これまた不謹慎というかいいかげんな言い方に聞こえるよね。でも実際そうなんだよな。

買う日には翌日以降のことはわからないわけじゃない。 買った翌日に下がってしまって「アチャー」ってことはいくらでもある。
だからこそ、毎月の積立でシステマティックにやることが推奨されるわけだ。

それでも、一念発起で積立を始めた今年1年がずーっと低迷していく1年だったらどうだろう。
きっと「アチャー、始めるのを待って来年からにすればよかったよ~」と思うんじゃないだろうか。実際、最近そういう人多いみたいだよ。始めたけど何だか雲行きが怪しい話が増えてきたからと、積立を停止してしまった人も少なくないようだ。

そういう人には、これまで君たちに話してきたことを伝えたいな。

  • ● 何のために嫌いなリスクをあえて取ると決心して始めたのか。

  • ● やめるのは目標金額が達成された時であればよく、相場の浮き沈みで決めることではない。

  • ● ゆっくり成長する企業の価値と、短期目線の投資家が「ムード」で動かす株価とを混同してはいけない。

親子でも何でもないその人たちに、僕のこんな説教くさい話は聞いてもらえっこないね。はい、やめときます。

そういう「アチャー」と思いがちな中において、「結果オーライ」とはこの絵のようなことだ。

このAという、Bから見たら「アチャー、やっちゃったなー」というタイミングで株式を買ってしまったとすると大失敗だよね。
Cまでの期間で考えるなら、AでなくBで買うことが決定的に重要だ。

上下にブレながら上昇するイメージ図の上、Aでスタートしてすぐに下落したB、その後にAより上がったところにあるC、最後に長い時間を経て最後に大きく上昇したところにDがある。

でもCの段階で売ることなどハナから考えないDまでの長期で構えられるなら、AだろうがBだろうが大した違いではないとなる。

Bで買えずにAで買ってしまった短期でのタイミングの失敗も「結果オーライ」になる、というのはこういう意味。

今後1年間の積立がずっとダメダメなマーケットの中で行なわれるとしても、そこから1年後でなく3年後、3年後でなく5年後などと長く構えられるのなら、投信の基準価額は買値よりも上にいる可能性は一般に高いはずだ

もしDが5年どころでなく10年、20年後だとすれば、今は重大に思える多少の「アチャー」なんて単なる誤差に過ぎないと思えるんじゃないだろうか。

その時僕はもうヨレヨレの爺さんだろうし、君たちだって立派な中年になってるわけだけど、君たちの投資がそんな誤差など気にならないくらい大いに報われている可能性は高いだろう。

つまり長期投資は多少の「アチャー」を「結果オーライ」にしてくれ、立派な中年の君たちに夢を抱かせ、納得ずくの投資を続けていく勇気をくれるんだと思う。

もちろん長く持てば持つほど価値が上がるものばかりか?と言われればそうではないものもあるはずだ。
長く持てば持つほど下がっていくダメダメな株式なんかもあるだろうね。でもそんな株式やそれらが入る投信は、長期投資がいいとか悪いとかの前に、そもそも買ってはいけない。長く持ってはいけない。

「多少の間違い」でなく「大きな間違い」からだと、長期投資でもムリ

いずれにしても一般論として、または過去多くのケースにおいて、投資タイミングの「多少の間違い」は、長く待つことで「結果オーライ」となってきた
つまり長期保有は皆を救ってくれた。でもそれって、なぜなんだろうか。

それは単純に投資対象が右肩上がりだったからだ。
変動しながらも右肩上がりだったからこそ、短期のタイミングの間違いは長期保有で「結果オーライ」になったという単純な話なんだよね。

2008年のリーマン・ショックも2020年のコロナ・ショックも、長期の構えで耐えた人が救われてきた。
これこそが長期投資が推奨される理由だ。くどいけど複利効果ではない。

でも「多少の間違い」ではなく「大きな間違い」の場合は、いくら時間をかけてもなかなか「結果オーライ」とならないことは知っておいてほしいかな。

日経平均株価の史上最高値である1989年末の38,915円の水準でインデックスファンドを買ってしまった人は、30年以上の長期保有をもってしても、今のところまだ救われていない。
つまり、あの水準で買うことは「多少の間違い」ではなかったと言わざるを得ない。

NASDAQ(ナスダック)という米国の新興企業向け市場の株価指数だって、2000年2月の当時のピークに投資してしまった人は、約15年後の2014年10月までずっとマイナスが続き、なかなか「結果オーライ」にならなかった。
15年は耐え忍ぶには長い期間だよね。

前に株価の「ムード」が行き過ぎかどうかを測るモノサシとしてPERを紹介したよね。こうした客観的なモノサシはまさに、「多少の間違い」なのか「大きな間違い」なのかを判断するためにある

でも、PERが何倍以下ならOKで何倍以上ならNG、というほど簡単な話でも、テクニック論で何とかなる甘い世界でもないのが悩ましい。

前から話している投資資産の原理原則を理解しつつ、長期投資だからこそ、もっと大きな世の中の変化なんかも踏まえて考えていくことが今後ますます大事になってくる。
この辺はまた追々話していくつもり。

今福 啓之

日興アセットマネジメント


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