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私の「MOVE」|My MOVE


目標と誓い

私は19歳の時に友人4人で乗っていた車で事故に遭いました。全身の75%にやけどを負い、四肢にも障がいが残りました。治療やリハビリは想像を絶するほど辛く、心が折れそうになることもありました。それでも、「同じ事故で亡くなった3人の友人たちの分まで生き抜こう」「必ず輝く人間になるんだ」と自分に言い聞かせ、歯を食いしばってリハビリを続けました。

約3年後、傷の痛みが和らいだ頃に出会ったのは車いすバスケットボールでした。スポーツはもともと大好きでしたので、ようやく光を見つけた気がしました。「パラスポーツの世界で生きる姿を見せよう」「世界で一番輝くメダルをとって、亡くなった友人たちに報告しよう」――それが私の大きな目標であり自分への誓いにもなりました。


競技転向という挑戦

アスリートとしての人生を振り返ると、3つの大きな「MOVE」がありました。

最初の「MOVE」は競技の転向です。

車いすバスケットボールではチェアワークが鍵になります。片手が使えない私にとっては容易なものではありませんでした。それでも練習を積み重ね、29歳でようやく日本代表候補に選ばれました。しかしその矢先、動脈瘤という病気が見つかり代表候補からも外れてしまいました。

でも、それが車いすラグビーとの出会いにつながりました。車いすラグビーは四肢に障がいのある選手が残りの機能を最大限活用しながらプレーする競技です。障がいの重さが異なる選手がそれぞれの役割で活躍し、男女混合であることもユニーク。「ラグビー」らしい“タックル”も魅力のひとつですし、戦略が勝敗を大きく左右する競技でもあります。知れば知るほど奥が深いスポーツでした。

「車いすラグビーなら、もっと自分の特性を活かせる。ここでアスリートとしてもっと輝きたい」――そう強く思いました。これまでお世話になってきた車いすバスケットボールの関係者やメンバーに競技の転向を伝え、2013年、私は車いすラグビーへ「MOVE」しました。友人に誓った目標の達成へと近づくために、自ら動いた大きな一歩でした。


自分の「なりたい姿」に向かって動く

2つ目の「MOVE」は、日興アセットへの入社です。

車いすラグビーに転向した当初はフルタイムで働きながら競技を続けていましたが、世界と戦うには限界がありました。そんな中、縁あって2014年に日興アセットに転職し、アスリート社員として活動できるようになりました。競技レベルも飛躍的に向上していきました。

世界のトップレベルに追いつくことができ、2015年からは日本代表のキャプテンも務めるようになりました。チームへの想いや競技を通じて直面するさまざまな課題に対し、覚悟を持って向き合えるようになったのもその頃です。

自分自身との向き合い方も変わりました。自分の限界に挑戦し続ける中で、「どうなりたいのか」に強くコミットするようになったのです。勝った喜びよりも、負けた悔しさや自分の力不足を痛感した経験が次のステップへの原動力でした。


海外挑戦で得た成長

3つめの「MOVE」は、2018~2019年のアメリカリーグへの挑戦です。自分にとって本当に大きな「MOVE」でした。

2018年8月、日本代表は世界選手権で初の金メダルを獲得しました。最高に嬉しい瞬間でしたが、同時に「このまま満足してしまっていたら成長は止まる」と不安も感じました。初心に戻り、自分を見つめ直すべきではないか。そんな時、周りの勧めもあり、アメリカリーグへの武者修行を決意しました。

正直言うと海外は苦手でした。まして、家族を残して1人で数ヵ月もアメリカの知らない土地で生活することを想像すると、相当なモチベーションも必要でした。支えとなったのは、サッカー選手を目指している息子の存在です。「どんな辛い環境でも、信念を持って進もうとする父親の姿を見せたい」――その想いが私を突き動かしました。

アメリカで約半年間、チームに加わりプレーしたこと、アメリカリーグに挑戦したことは非常に大きな経験と自信につながりました。初めての対戦相手でも特徴や強みを瞬時に見抜き、スピーディに戦略を立てる能力が身につきましたし、何より自分自身と向き合う時間がたっぷり取れたので、シンプルに車いすラグビーだけに集中することができました。

チームメイトとの言葉の壁、考え方や文化の違い、モチベーションの違いを痛感する中で、物事をよりクリアに整理する思考も身につきました。本当に大きなチャレンジでしたが、行動を起こせばやれるんだということを自らにも証明することにもなりました。挑戦したことで得られたものは、競技のスキルやレベルアップだけでなく、精神的な成長、そしてたくさんの仲間たちでした。


信念を持って「MOVE」する

実のところ、私は「MOVE」することは得意ではありません。だからこそ、確固たる信念と目的がなければ、自分の「MOVE」は成功しないと考えています。シンプルですが、「何のために動くのか」を自分で考え、決意することが大事だと思っています。

2024年のパリの大舞台で念願の金メダルをついに獲得し、亡くなった友人たちにようやく報告をすることができました。素晴らしい仲間やスタッフ、応援してくださった皆さんには感謝の気持ちでいっぱいです。

いまは大きく深呼吸し、新たな自分へ向かって「MOVE」しようとしています。2015年から約10年間任せていただいていた日本代表キャプテンを降りることも決断しました。もちろん今後も1人のアスリートとして車いすラグビーは全力で続けていきます。

また若手の育成やパラスポーツの普及にも力を入れていきたいと考えています。出身地である高知の田舎や離島をはじめ全国各地の子どもたちに会いに行き、誰でも世界に羽ばたけるチャンスがあるということを、車いすラグビーを通じて伝えていきたい、そんなことも考えています。

池 透暢(いけ ゆきのぶ)
車いすラグビー日本代表|日興アセット所属アスリート社員|1980年生まれ 高知県出身
2015年から約10年、日本代表キャプテンとしてチームをリード。19歳の時の交通事故で障がいを負い絶望するも、同乗していて亡くなった友人たちのためにも「生きた証」をと競技に邁進してきた。所属クラブチームは高知県Freedom。

生きる意味を模索し続けてきたからこそ、いま目に映る世界
(※上記リンクはGOLDWIN TECH LABのサイトへ移動します。)


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2025/06/02 作成