本稿は2023年6月19日発行の英語レポート「On the ground in Asia」の日本語訳です。内容については英語による原本が日本語版に優先します。
当面はリスクに対してより慎重な見方
サマリー
- 5月は米国債のイールドカーブが総じて上方にシフトし、月末の利回り水準は2年物の指標銘柄で前月末比0.397%上昇の4.41%、10年物の指標銘柄で同0.222%上昇の3.65%となった。
- 当月、アジア地域の中央銀行のあいだでは金融政策動向にばらつきがみられる一方、主な物価指標によると物価全般の上昇圧力は和らいだ。
- アジアの現地通貨建て債券市場では、比較的良好なマクロ環境を背景に、相対的に利回り水準が高いフィリピン、インド、インドネシアの国債に対してポジティブな見方を維持している。通貨については、タイバーツとインドネシアルピアが域内の他国通貨を引き続きアウトパフォームするとみている。
- 5月のアジアのクレジット市場は月間リターンが-0.82%となった。米国債利回りの上昇に加え、中国不動産セクターの信用スプレッドの拡大が大きく響いた。格付け別では、投資適格債の月間市場リターンが-0.39%となる一方、ハイイールド債の月間市場リターンは-3.18%となった。
- 中国を除くアジア地域のマクロ経済や企業の信用状況に関するファンダメンタルズ(基礎的条件)は、昨年に比べてやや弱まるものの、引き続き底堅さを維持するとみている。アジア域内、そして世界の先行き不透明感が増しているのに加え、アジアのクレジット市場がこれまで持ち堪えてきたことから、域内の投資適格クレジットのバリュエーションは、過去の水準に比べても先進国のスプレッド対比でも、やや割高であるように見受けられる。一方、中国のハイイールド債市場を安定化させるには、同国当局によるより大幅な不動産市場の緩和措置が必要であるとみている。
アジア諸国の金利と通貨
市場環境
5月の米国債市場ではイールドカーブが上方シフト
月初は、米国の債務不履行の可能性に対する懸念や米国の地方銀行が再びストレスに晒されたことが重石となり、リスク資産が低迷した。米FRB(連邦準備制度理事会)は0.25%の利上げを実施し、FF(フェデラル・ファンド)金利の誘導目標レンジの上限を5.25%へと引き上げた。FRBのフォワード・ガイダンスで、次回の会合において利上げを一時停止する可能性が示唆されたことを受けて、米国債利回りは低下した。当月発表された経済指標はまちまちの兆候を示したが、景気後退懸念は概して和らいだ。米国の4月の非農業部門雇用者数は力強さを示し、市場予想の前月比18.5万人増に対して同25.3万人増と市場予想を上回ったが、過去2ヵ月合計で14.9万人分が下方修正された。一方、ミシガン大学の5月の消費者信頼感指数は2022年11月以来の低水準へと低下し、また米国の4月のCPI(消費者物価指数)上昇率は鈍化した。しかし、個人消費支出のペースは速まった。消費者物価の上昇圧力を測る尺度としてFRBが重視している同指数は4月に伸びが加速し、市場予想を上回るなど、インフレ圧力の根強さが浮き彫りとなった。月の後半は、米国の債務上限交渉の進展に投資家の注目が集まるなか、連邦議会とバイデン政権とのあいだで合意に近づいているとの楽観的な見方から、米国債利回りは上昇基調を辿った。5月は米国債のイールドカーブが総じて上方にシフトし、月末の利回り水準は2年物の指標銘柄で前月末比0.397%上昇の4.41%、10年物の指標銘柄で同0.222%上昇の3.65%となった。
中央銀行の金融政策対応にばらつき
マレーシアの中央銀行は、政策金利を0.25%引き上げて3.0%とし、市場で据え置きが予想されていたなかで予想外の動きをみせた。同中銀は、内需が底堅く推移していることや、金融面における不均衡リスクの積み上がりを避ける必要性があることから、この措置は妥当であるとの見方を示した。同様に、タイの中央銀行は政策金利を0.25%引き上げて2%とし、「長期的に持続可能な成長に合致する水準に向けて」政策の正常化を漸進的かつ慎重に進めていくことが引き続き適切との見方を示した。一方、フィリピンの中央銀行は、2022年序盤に利上げサイクルを開始して以降初めて利上げを停止した。また、2023年と2024年のCPI上昇率予想を下方修正したが、総合インフレ率が減速する一方で、コアインフレ率は「若干の減速にとどまっている」との警戒感を示した。インドネシアの中央銀行は政策金利を据え置き、足元で通貨の安定維持に注力していることを強調した。また、同中銀は2023年のGDP成長率予想レンジを4.5~5.3%に維持し、総合インフレ率は第3四半期までに目標レンジに戻るとの見通しを維持している。
4月のインフレ圧力は概ね緩和
域内の4月の主な総合物価指数は、食品価格の上昇ペース鈍化が一因となり、減速した。タイの総合CPIは前月の前年同月比2.83%から同2.67%へと減速し、2ヵ月連続で同国の中央銀行の目標レンジ内に収まった。フィリピンの4月の総合インフレ率は前年同月比6.6%と、前月の同7.6%から鈍化したものの、依然として同中銀の目標レンジである2~4%を上回った。マレーシアでも同様にインフレ圧力が和らぎ、総合CPI上昇率は食品価格の上昇ペースが減速したことを受けて鈍化した。その他、シンガポールでは食品価格や電気・ガス料金、小売商品やその他の価格の上昇が鈍化したものの、それ以上に旅行関連サービス価格が上昇加速したため、総合インフレ率が加速するとともにコアインフレ率は堅調さを維持した。
2023年第1四半期のGDP成長率はインドやインドネシアで加速、マレーシア、シンガポール、フィリピンでは鈍化
インドネシアの2023年第1四半期の経済活動は前年同期比5.03%増と、前四半期の同5.01%増から若干加速した。また、インドの1-3月期の経済成長率も、設備投資やサービス輸出拡大が追い風となって前年同期比6.1%となり、前四半期の同4.5%(上方修正値)から加速した。対照的に、マレーシアの経済成長は前年同月比5.6%へと減速した。前四半期の同7.1%(上方修正値)からは減速したものの、市場予想の同5.1%を大幅に上回る結果となった。同様に、フィリピンの第1四半期の経済成長率は前四半期の前年同期比7.10%(下方修正値)から減速して同6.4%となったが、市場予想を上回った。シンガポールでは、第1四半期の経済成長率が速報値の前年同期比0.1%から同0.4%へと改定されたが、前四半期の同2.1%から大きく鈍化した。
中国の経済指標は市場予想を下回る、中国人民元は1米ドル=7元台に下落
中国では、4月の経済活動指標や信用統計が軒並み市場予想を下回り、コロナ後の景気回復が急失速しているとの見方を一段と裏付ける結果となった。鉱工業生産の伸びは、比較対象となる前年の数値が低水準であったにもかかわらず同5.60%(前年は同3.9%)にとどまり、市場予想(同10.9%)を大幅に下回った。4月の小売売上高は前年同月比18.4%増と前月の同10.6%から大幅に伸びたが、市場予想には届かなかった。1月~4月の固定資産投資は前年同期比4.70%増となり、第1四半期の同5.1%増から鈍化するとともに市場予想の同5.7%増を下回った。その他、4月の社会融資総量は前月の5.38兆元から減少して1.22兆元となり、人民元建て新規銀行融資は前月の3.89兆元から7,188億元へと落ち込んだ。しかし、前年同期比での伸び率は比較対象となる前年の水準が低かったことから、社会融資総量が10.0%、人民元建て銀行融資が11.8%と3月の水準から横ばいとなった。こうして、中国の景気回復に対する楽観ムードが後退するなか、人民元は重要な節目である1米ドル=7元を超えて下落した。大幅な元安にもかかわらず、これまでのところ中国人民銀行は人民元の日々の基準値を市場水準と概ね一致する水準に設定しており、元安の抑制には動いていない。
今後の見通し
フィリピン、インド、インドネシアの債券を選好
アジア域内の大半の国では総合インフレ率が大幅に鈍化しており、市場の注目は経済成長へと移っている。こうした要因を受けて、年後半における各国中央銀行の政策転換への期待が高まりつつある。アジアの現地通貨建て債券市場では、比較的良好なマクロ環境を背景に、相対的に利回り水準が高いフィリピン、インド、インドネシアの国債に対してポジティブな見方を維持している。加えて、実質金利がプラスに転じるなか、投資資金の流れも追い風になると予想している。
タイバーツとインドネシアルピアを選好
通貨については、タイバーツとインドネシアルピアが域内の他国通貨をアウトパフォームするとの見方を維持する。タイバーツは、中国人観光客の回帰に伴い経常黒字が良好な水準へ回復するとの楽観ムードが好材料となっている。一方、インドネシアは、電気自動車用バッテリーの製造ハブを目指す政府の長期計画を背景に外国直接投資の流入が期待され、これが同国通貨の需要の追い風になるとみている。
アジアのクレジット市場
市場環境
5月のアジア・クレジット市場は下落
5月のアジアのクレジット市場は、中国の不動産セクターの信用スプレッド拡大に加えて米国債利回りの上昇が大きく響き、月間リターンが-0.82%となった。格付け別では、極めて低迷している中国の不動産セクターがハイイールド債の重石となり続けるなか、投資適格債がハイイールド債をアウトパフォームした。投資適格債は、スプレッドが0.02%程度縮小したものの米国債利回りが上昇したことを受けて、月間リターンが-0.39%となった。一方、ハイイールド債はスプレッドが約0.71%拡大し、月間リターンが-3.18%となった。
月初は、米国の債務不履行の可能性に対する懸念や米国の地方銀行が再びストレスに晒されたことを背景に、リスク資産が低迷した。中国の経済活動や信用統計が市場予想を大幅に下回り、同国の経済成長の急速な鈍化が示唆されたことを受けて、スプレッドは拡大した。中国の経済成長に対する懸念や政策対応をめぐる不透明感から、投資家は慎重な姿勢を維持した。同国不動産セクターのクレジットものにおいては、特定の発行体に関するネガティブなニュースが流れたほか、新築住宅販売件数の伸びも鈍化するなど、同セクターの苦境が長引く可能性が示唆されるなか下落基調が強まった。月の中盤に入ると、米国の連邦債務上限交渉が合意に近づくなか、リスクセンチメント全般が好転したこと受けてスプレッドは縮小した。同様に、個別銘柄の明るい動向が追い風となり、アジアのハイイールド債市場からの資金流出は緩やかになった。国・地域別でみると、当月は中国、香港、マカオ、フィリピン、台湾のスプレッドが拡大する一方、インド、インドネシア、マレーシア、シンガポール、韓国、タイのスプレッドは縮小した。
5月は新規発行がやや加速
5月のアジアのクレジット市場では、起債活動が多少活発化したものの、総じて新規発行が比較的低調な状況が続いた。投資適格債分野では、香港のソブリン債ディール(3トランシェで総額22.5億米ドル)やマレーシアの政府系ファンドKhazanahのディール(2トランシェで総額15億米ドル)、中国輸出入銀行のディール(15億米ドル)を含め、計15件(総額95.5億米ドル)の新規発行があった。一方、投資家センチメントが著しく悪化しているハイイールド債分野では、新規発行が計1件(総額5,000万米ドル)にとどまった。
今後の見通し
アジアのマクロ経済や企業信用のファンダメンタルズは堅調を維持する見込みも、バリュエーションはやや割高
中国を除くアジア地域のマクロ経済や企業の信用状況に関するファンダメンタルズは、昨年に比べてやや弱まるものの、引き続き底堅さを維持するとみられる。堅調な内需やインドおよびアセアン諸国を中心とした観光業の回復が財の輸出の低迷を相殺している。アジアの銀行システムは引き続き強固であり、当社では、安定した預金基盤、堅固な株式資本、健全な資産の質、収益性の改善などにより、アジアの銀行は欧米発の銀行セクターの混乱に耐えることができると予想している。
一方、アジア域内、そして世界全体においても複数の相反する動向が出てきており、より不透明な局面に入りつつある。こうした不透明要因には、FRBの次なる動き、先進国のリセッション(景気後退)入りリスク、中国の景気回復の鈍化、地政学的緊張の継続などが含まれる。それらに加え、アジアのクレジット市場がこれまで底堅く推移してきたことで、アジアの投資適格クレジットのバリュエーションは過去の水準に比べても先進国のスプレッド対比でも、やや割高感が出ている。一方、中国のハイイールド債市場を安定化させるには、同国当局によるより大幅な不動産市場の緩和措置が必要であると考えているが、その実現については、期待が高まっているものの依然不透明な状況が続いている。したがって、当面はリスクに対してより慎重な見方をしていく方針である。
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