当レポートは、英語による2024年5月23日発行の英語レポート「The yen: how weak is too weak?」の日本語訳です。内容については英語による原本が日本語版に優先します。


円安の進行を受けて、日本が世界における自国の購買力へのさらなる試練に対処できるかどうか、議論が高まっている。大半の購買力平価指標で見ると、米国で1ドルに相当する商品群は日本では100円未満となっており、ドル円レートは「公正価値」を示す当該尺度から大きく乖離している。しかし、日本の当局、特に日本銀行の高官は、国内経済において緩やかなリフレの兆候が続いていることから、慎重に見守る姿勢を崩していない。財務省高官は「過度」または無秩序な市場動向に対して警告を発しているが、米ドルが一時160円超えという数十年来の高水準にまで上昇したにもかかわらず、ドル円レートのボラティリティはたいして目立たないレベルにとどまっている。

もちろん、日本のように対外黒字が大きい国は、必要に応じて購買力防衛のために介入を行う目的で外貨準備(輸入額の何ヵ月分相当かが目安とされることが多い)を保有している。しかし、通貨防衛のための介入は、輸出競争力維持のための介入とは大きく異なり、外貨の売却を伴う。自国通貨については中央銀行がいつでも刷ることができるが、外貨準備は保有額が有限である。さらに、外貨準備の一部を売却するかどうかは、自国通貨安が国内経済に差し迫った脅威をもたらすかどうかの判断とは別の問題である。日本の場合、前者は財務省が決定するが、後者については財務省と日銀、場合によっては他国の中央銀行とのあいだですり合わせが行われる。「過度な通貨安の水準とは」というのは重要な問題であり、これが本稿で取り上げたテーマである。

輸入価格の影響度

ここ数四半期に円安はドル・ベースの輸入物価の上昇を増幅させてきたものの、直近の決算で見られたように、日本の大手企業は海外で得た外貨での名目売上げが円ベースで押し上げられる恩恵を受けており、企業収益が最近過去最高水準を記録している多くの理由の1つとなっている。逆に、(企業規模が相対的に小さい傾向がある)内需系企業は、顧客である大手企業の支出増から間接的に恩恵を受けているに過ぎず、輸入コストの上昇による圧力にも晒されている。日銀は、対外競争力のバロメーターとして、「交易条件」として知られる指標(輸出価格と輸入価格の相対関係を示す)を好んで用いる。この指標は現在弱さを示しているが、輸入インフレがはるかに高かった2022年に比べれば顕著に改善している(チャート1参照)。

日本の国内生産において最大の割合を占める家計は、強弱混合の様相を示している。一方では、大手企業やその取引先企業が実施することのできた賃上げから家計が恩恵を受けている兆候が見られているが、他方、極めて重要なのは実質収支で、家計の実質所得の指標はインフレを原因に前年比でまだプラスに転じておらず、このため消費は低迷したままである。

輸入物価がコア消費者物価に影響を及ぼす限りにおいて、またドル円レートの水準が輸入物価に影響を与えることから、円安は消費行動に影響を与える可能性がある。そこで、ドル円レートの動きが輸入物価に与える影響の度合い、延いてははその輸入物価がコア消費者物価に与える影響の度合いを、さらに検証する。この分析によって、円安が家計の実質所得の回復を妨げるかもしれないのはどんな状況かを理解しやすくなると考える。


輸入物価の影響が大きくなるのは、まだショック状態にある場合

通常、輸入物価の変動は家計にそれほど直接的に響くわけではない。チャート2が示すように、日本の生鮮食品を除いたCPI(消費者物価指数)上昇率の動きは、輸入物価指数よりもはるかに安定的な傾向がある。2011年の東日本大震災以降、日本は化石燃料輸入への依存度が高まったが、それでもこの期間に日本の輸入物価がコア消費者物価に波及した度合いは、13ヵ月のタイムラグを考慮しても30%足らずに過ぎない(タイムラグを考慮しなければさらに小さい)と推定する。とはいえ、現在は例外的な局面である可能性もある。新型コロナウイルスの感染拡大が始まった2020年3月以降の物価の変動が大きくなった局面を見ると、輸入物価とコアCPIの相関性はおよそ2倍と、13ヵ月のタイムラグ・ベースで最も強くなっていることがわかる(チャート3参照)。現段階はまだ物価ショックの余波を切り抜けている最中と仮定すると、輸入物価が現在家計に与えている影響は通常よりも大きいと考えるのが妥当であろう。


円安が輸入物価上昇の要因となっている度合い

日本の購買力に影響を与える要因は円の水準だけではない。2022年に見られたように、原油価格の高騰は交易条件にはるかに大きい影響を与え得る。しかし、それ以降、原油価格は落ち着いている。原油価格にショックを引き起こすような展開がない限り、統計的に見ると、ドル円レートは長期的に輸入物価を左右する要因として原油価格よりも大きな影響を与える傾向がある。他の条件がすべて同じであった場合、2011年3月以降の期間では、ドル円レートが1%動くと輸入物価は0.5%動く可能性があったと推定される。輸入物価が家計に影響を及ぼしている要因となっているのであれば、原油価格がショックを引き起こしていない局面でも、ドル円レートは重要と言える。

円安でも(今のところ)慌てるべきではない理由

ドル円レートが数十年来のドル高円安水準で推移しているのは確かだ。しかし、円安が日本の国内景気回復の芽を摘むと考えるのは時期尚早だろう。その理由の1つとして挙げられるのは、名目賃金の上昇ペースが過去最高水準にあり、これが輸入物価の上昇による実質所得の伸びへの悪影響をまだ上回る可能性があることだ。

この点を説明するのに、2つの名目賃金上昇率想定の下で実質賃金の伸びを試算した。1つは、日本最大の労働組合中央組織である連合が発表した、春闘の集計による最新の年間賃金上昇率で、前年比5.24%となっている。この伸びが経済全般へ及ぼす波及効果が限定的である可能性を認識し、2つ目の想定として、連合が発表したセクター別年間上昇率のうち最も低いもの(サービス・セクター分の3.72%)についても検討した。これらの想定の下、2023年度末(ドル円レートは151.35円)からの円安が今年度の実質賃金の伸びに与える影響を、年度内の平均ドル円水準を150~170円と仮定してシミュレーションした。

当社の考察によると、輸入において「供給ショック」環境が継続すると仮定しても、3.72%の低い名目賃金上昇率の想定において実質賃金に悪影響が及ぶとみられるのは、円が対米ドルで下落し、それが継続する場合のみである。このケースとなるには、年度を通じた平均のドル円レートが158円で、少なくとも年度の半分において当該水準を超えているある必要がある(チャート4参照)。


為替は変動するものであり、「円安」は「円安トレンド」ほどは悪影響をもたらさない

為替の変動に慌てることなくより長期的なトレンドに注目することの重要性をさらに示すために、今後12ヵ月間(今年度末である2025年3月まで)のドル円レートのシミュレーションを行った。このシミュレーションでは、2011年3月以降のボラティリティ・パターン、最近の為替トレンド、および時の経過とともにボラティリティの上昇・低下局面を見せるドル円レートの傾向を用いている。

このシミュレーションでいくと、今年度において実質賃金の上昇が阻害されるほど大幅なドル高円安トレンドが持続する可能性は小さい。一方、ドル円レートが160円以上の水準でしばらく推移したとしても、家計の実質所得の見通しを悪化させずに済む可能性ははるかに高い。チャート5は、考え得るドル円レート推移のパターンをいくつか示している。


今のところ円安は許容できるが、下落傾向が続くようなら警戒が必要

結論として、ドル円レートが現在の水準にある限り、あるいは最近のように一時的に160円近くやそれを超えるドル高円安になったとしても、慌てる必要はないと考える。しかし、もし市場に混乱が生じて円が対米ドルで持続的に下落するようなことになった場合は、日銀は、過度な円安がインフレを招きリフレと景気回復の「好循環」を妨げることへの懸念を強める可能性がある。

そのような事態にならなければ、日銀は、一段の金融緩和解除を進めるタイミングを判断するために、(為替だけでなく)物価全般、延いては実質家計所得の動向を幅広く注視し続けるものと予想する。


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