ETFの歴史①~日本編~1995年 日本初のETFが登場
- 2018年10月15日
1995年 日本初のETFが登場
日本で初めてETF(上場投資信託)が登場したのは、1995年のことです。
1995年5月、野村アセットマネジメントの「日経300株価指数連動型上場投資信託(日経300投信)(東証1319)」が設定・上場されました。日経300指数に連動するETFで、現在、日本で一番歴史のあるETFです。
なぜ日経300?日経225ではなかったの?
「日経300」は1993年10月、「より少ない銘柄で市場の実勢を的確に表す」ことを目的に日本経済新聞社が算出を開始した時価総額加重型の指数です。当時、「日経225」についての課題や、先物取引等をめぐって様々な議論が行き交う中で、「日経225」に代わる新たな株価指数として誕生しました。
バブル崩壊、市場の低迷がETF制度スタートのきっかけに
1989年12月末に38,915円とピークをつけた日経平均株価は、1990年以降、急速に下落し、日本のバブル経済は崩壊を迎えます。株式だけでなく、不動産価格も大幅に下落。
そのような混沌とした経済状況の中、1995年市場活性化策として、ETFの制度がスタートすることになります。
大きな期待の下にスタートしたETFの制度ですが、いくつか課題がありました。まず、ETFのスキームが、機関投資家にとって、非常に使いづらいものだったことです。
(注:現金で設定し、現物株式を交換するスキームであり、現在の設定方法の一つである「現物拠出型」のスキームのように、現物株式での設定は行えないものでした。)
また、この制度でETFの連動指数として選べるのは、日経300指数のみでした。そのため、この6年後、2001年にルールの改正が行われるまでは、「日経300投信」だけが日本国内で唯一のETFとして存在していました。
残高・取引量とも伸び悩む
日本初として誕生したETFでしたが、上記のような課題に加え、指数である日経300株価指数の知名度はなかなか上がらなかったことも影響し、広く普及するに至りませんでした。市場活性化策として取り入れられたものの、残高・取引量とも伸び悩み、目的は十分に達成できたとはいえない状況でした。
次回、2001年のルール改正の裏側に続きます。
1995年(平成7年)はこんな年
1月 阪神・淡路大震災
3月 地下鉄サリン事件
11月 東京臨海副都心にゆりかもめが開業
11月 アメリカのマイクロソフト社が「Windows '95 日本語版」を発売
ルーズソックスにミニスカートのコギャルファッションが流行。連絡手段は「ポケベル」で、公衆電話に行列ができることもありました。