ETFの歴史②~日本編~新たなETFの制度誕生の裏側

ETFの歴史】日本編② 新たなETFの制度誕生の裏側

  • 2018年11月05日

前回は1995年の状況をお話ししました。

その後も日本の株式市場は、不調な時期が続きました。
長年、日本株式の主要保有者は、日本の銀行でした。バブル崩壊後、銀行は、増え続ける不良債権、株式市場の不調による株式の評価損の増大にとても苦しんでいました。
しかし、銀行の健全化は、経済の再生に不可欠なものであることから、政府は対策に動き出します。

株式の受け皿となる組織の誕生

銀行は、保有している株式が下落すると含み損を抱え、経営が不安定になります。しかし、保有株式を市場で売却をしてしまうと、株式市場の混乱を招いてしまうという懸念がありました。
そこで、政府は銀行から直接株式を買い取り、株式市場の下落を回避しながら、時間をかけて株式を売却していくこととしました。
そのために設立されたのが「銀行等保有株式取得機構」です。
2001年、政府の経済対策閣僚会議の「緊急経済対策」に、株式保有制限・株式買取スキームが盛り込まれ、「銀行等の株式等の保有の制限等に関する法律案」が可決されます。これをもって、2002年1月、銀行等保有株式取得機構が設立されました。

銀行から買い取った株式でETFを組成

銀行等保有株式取得機構では、銀行から買い取った株式をバスケット(=一つのかごに入れるように)にし、ETFとして、少しずつ市場に売却をしていく役割を担います。

日経225やTOPIXの株式バスケット拠出型のETFの制度が2001年に導入され、日経225、TOPIXのETFが誕生しました。

次回に続きます。



2001年(平成13年)はこんな年

ユニバーサル・スタジオ・ジャパン開園
アメリカ同時多発テロ事件
JR東日本「Suica」登場

小泉純一郎氏(小泉進次郎氏の父)が首相に就任し、日本では小泉旋風が吹き荒れました。9月11日、アメリカの同時多発テロ事件が発生、全世界に衝撃が走りました。